子どもを比べてしまう罪悪感|心の癖とほどき方
参観日の教室で、手を挙げている子の列を目で追ってしまう。きょうだいの片方に、つい「お姉ちゃんはこの時期にはもう」と言ってしまい、言い終わった瞬間に胸が冷たくなる。そして夜、寝顔を見ながら思うのです。どうして、あんなことを言ってしまったんだろう——子どもを比べてしまう罪悪感は、たいてい静かな時間にやってきますね。
こんにちは、縁の整え方の専門家・出雲です。この相談をされる方は、ほとんど例外なく、自分をひどい親だと思っています。ですから最初にお伝えします。比べてしまうこと自体は、あなたの愛情が足りない証拠ではありません。ただし、比べたことを口に出したときに、子どもの中で何が起きるかは知っておいたほうがいいと思っています。
先に結論をお伝えしますね。
- 人と比べてしまうのは心の癖であり、意志で止められる種類のものではありません
- 変えられるのは、心に浮かぶかどうかではなく、口から出るかどうかです
- ですからこの記事の中心は、言葉の置き換えです。そのまま使える言い換えを並べていきます
比べる気持ちをなくそうとするのは、たぶんうまくいきません。出口のところで手を打つほうが、ずっと現実的です。
比べてしまうのは、あなたが冷たいからではありません
人は、はっきりした物差しのないものを測るとき、何かと並べて見ようとします。子どもの育ちには、これで正解という基準がありません。だから親は、身近な誰かを物差しに使ってしまう。これは冷たさではなく、測りようのないものを測ろうとしている状態です。
そして今は、その物差しがすぐ手元にあります。SNSの投稿、習い事の発表会、保護者どうしの会話。昔なら見えなかった他所の家の様子が、毎日流れてきます。あなたの心が狭くなったのではなく、材料が増えただけなのですね。
もうひとつ、深いところに理由があることもあります。自分自身が、比べられて育った人です。きょうだいと、いとこと、近所の子と。そういう記憶を持っている方は、比較の言葉が体に染みついていて、悪気なく口から出ます。そして出たあとに、いちばん強く自分を責めます。痛みを知っているからこそ、同じことをした自分が許せないのですね。この背景については、比べられて育った生きづらさの手放し方にも書きました。ご自身の育ちに思い当たるところがある方は、あとで読んでみてください。
それでも、口に出したときに子どもに起きること
ここからは、率直に書きます。あなたを責めるためではなく、出口のところで手を打つ理由をはっきりさせるためです。
比較の言葉を向けられた子どもの中では、だいたい三つのことが起きます。
ひとつめは、愛情に条件があると学ぶことです。「◯◯ちゃんはできるのに」と言われた子が受け取るのは、その課題の話ではなく、「できる子のほうが好かれるらしい」という結論です。一度この結論が入ると、褒められたときにも安心できなくなります。次に落ちたら、また比べられるとわかっているからです。
ふたつめは、比べられた相手か、自分自身のどちらかを嫌いになることです。きょうだい間の比較が長く続くと、その関係は大人になってからも残ります。
みっつめは、親が評価者になることです。評価する人には、うまくいっていないことを話せません。そうして、いちばん助けが必要なときに、いちばん話さなくなります。思春期に会話が減る家庭の中には、これが理由のものが混じっています。
念のため書き添えておきますが、一度や二度言ってしまったことで、子どもの人生が決まるようなことはありません。効いてくるのは、繰り返しと、その家の基準になることです。だからこそ、今日から出口を変えれば間に合います。
そのまま使える、言い換えの実例
この記事の中心です。共通する考え方はひとつ、他人ではなく過去のその子と並べることです。
「◯◯ちゃんはもうできてるのに」
→「先月より、ここは早くなったね」
横に並べるかわりに、縦に並べます。同じ内容でも、受け取られ方がまったく違います。
「お姉ちゃんはこの時期にはもう自分でやってたよ」
→「これ、どこまでなら自分でやれそう?」
きょうだいの名前は、比較にも励ましにも使わないと決めてしまうのがいちばん楽です。名前が出た瞬間、内容は届かなくなります。
「お兄ちゃんよりよくできてるじゃない」
→「これ、自分で最後までやったんだね」
褒めるときの比較も、同じ仕組みで働きます。上に立たせる褒め方は、次に下になったときの不安とセットで渡すことになります。
「みんなできてるのに、どうしてあなただけ」
→「ここでつまずいてるんだね。どのへんが難しい?」
「みんな」は、実在しない相手です。実在しない相手には勝てないので、この言葉は逃げ場を残しません。
「うちの子なんて全然です」
→「ありがとうございます」
人前での謙遜は、日本ではほとんど反射で出ます。ただ、その場にお子さんがいるなら、聞こえているのは謙遜ではなく評価です。褒められたら、否定せずにお礼だけ返すのがいちばん安全です。
「もっとできる子だと思ってたのに」
→(言わない)
これは置き換えの言葉がありません。落胆の表明は、内容にかかわらず存在の否定として届きます。言いたくなったら、その場を離れてお茶を淹れてください。
大事なのは、完璧にやろうとしないことです。よく使ってしまう一文だけを決めて、その一文をやめる。それだけで、家の中の言葉はずいぶん変わります。
心の中で比べてしまったときの、三つの手順
口に出さなかったとしても、比べた自分に落ち込む日はあります。そんなときは、この三つで扱ってみてください。
気づく
「あ、今また比べたな」と、ただ気づきます。ここで自分を責めると、かえって焦りが増します。名前をつける
何と比べたのかをはっきりさせます。同級生の◯◯ちゃんか、きょうだいか、自分の子ども時代か、それとも「本来こうあるべき理想の子」か。名前がつくと、比較は急に小さくなります。出所を確かめる
その基準は、誰の基準でしょうか。あなたが自分で選んだものですか、それとも親から受け取ったもの、周囲から流れてきたものでしょうか。多くの場合、比べているのは子どもではなく、あなたが背負ってきた基準のほうです。
人の目を通して自分の子を見てしまう感覚が強い方は、人の目が気になるのを直す方法も助けになるはずです。視線の置き場所が変わると、比較の回数そのものが減っていきます。
罪悪感は、悪者ではありません
最後に、罪悪感そのものの扱い方をお伝えします。
罪悪感があるということは、あなたの中に「これは違う」と言える感覚が生きているということです。歯止めとして働いているのですね。あなたがこの記事にたどり着いたこと自体が、その証拠です。
ただし、罪悪感が自己嫌悪に育つと、方向が変わります。「私はダメな母親だ」と沈み込んでいる時間は、子どもには「自分のせいでお母さんが落ち込んでいる」と伝わります。子どもは家の空気の変化に敏感で、原因を自分に引き受ける癖があるからです。
ですから、罪悪感はその日のうちに使い切ってください。翌日、比較ではない言葉をひとつ渡すこと。「昨日の言い方、よくなかったね。ごめん」でもいいですし、「おかえり」を一段やわらかく言うだけでも構いません。反省を長く抱えるより、次の一言を変えるほうが届きます。
自分への評価が低いまま人と関わり続けると、比較の癖はなかなか抜けません。自己肯定感が低い人の人間関係の保ち方に、無理に上げずに保つ方法をまとめています。
なお、気分の落ち込みが二週間以上続いている、眠れない、涙が止まらない、子どもへの感情がうまく扱えないと感じるときは、性格の問題として抱え込まないでください。心療内科やカウンセリング、自治体の子育て相談窓口など、専門の窓口への相談も選択肢に入れてくださいね。
縁を整える視点|あの子は、あなたの続きではありません
縁を見つめてきた立場から、最後にお話しさせてください。
昔から、親子は縁の深い相手ではあるけれど、同じ道を歩くために結ばれた縁ではない、と言われてきました。いちばん近くを並んで歩く、まったく別の二人なのですね。
比べてしまうときというのは、たいてい、子どもを自分の続きとして見ているときです。自分が果たせなかったこと、親に認められなかった記憶。そういうものが、目の前の子の姿に重なる。そのときに出てくる言葉は、昔のあなたに向けた言葉であることが多いのですね。
もしそうだとしたら、手をつける場所は子育てではありません。あなたと、あなたの親との間に残っているものです。許す必要はありませんし、和解しなければいけないわけでもありません。ただ、置き場所を変えるだけで、目の前の子への視線は変わります。その方法は親を許せない気持ちを手放す方法にまとめました。比べる癖の根に心当たりがある方は、こちらを先に読んでみてください。
そして、子どもと過ごせる時間には持ち時間があります。並んで歩ける期間は、思っているより短いものです。その限られた時間を、誰かと比べる物差しに使うのは、少しもったいないと私は思うのですよ。
まとめ|変えるのは心ではなく、出口の言葉です
- 比べてしまうのは心の癖であり、材料の多い環境のせいでもあります。あなたの愛情の問題ではありません
- 変えるのは出口の言葉。他人と横に並べるのをやめて、過去のその子と縦に並べましょう
- 罪悪感はその日のうちに使い切って、翌日の一言に変えてください
比較の癖は、あなた自身が育ってきた家の空気から続いていることがあります。今の家族関係のしんどさを、いちど確かめてみませんか。
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